嬉野、福屋両プロデューサーの気苦労はさておき、こういう時にこそ手間とお金のかかるドラマを作らないといけないと思うんです。それも台所事情が厳しいローカル局こその、気概を持って。
私は思うんです。我々はいつしか「合理的である」とか「機能的である」とか「便利だ」とか「わかりやすい」とか「無駄がない」ということを、物事を判断する上での最上の条件としてきました。
それが「美しいか」とか、「文化的であるか」、という判断が最上であることはまずない。
美的感覚はファッション的な意味では非常に重視されるでしょうが、それが「文化的かどうか」なんてことはまず考えられない。
でも私は物事を判断するときに、「それが人間にとって、社会にとって、文化的かどうか」ということを基準に考えると、案外いろんなことがまともになるという気がする。
合理性を追求したおかげで人が単なる労働力として扱われた。機能的であることを追及したおかげで建築物は単調な箱になった。わかりやすさを追求したおかげでテレビは視聴率にたよることになった。
これらを、少しでもいいから「文化的かどうか」という判断で考えていったら社会はもうちょっと良くなるんじゃないか。
お金が厳しいんだからドラマなんか作ってる余裕はない。そう判断するのはわかりやすいし無駄がないし合理的。
でも、テレビ局としてそれでいいんだろうか。そんな疑問はぬぐえない。
我々はテレビ文化を作る者として、こんなときでもドラマ作りは続けます。
こう言うと非常にスッキリする。
「それは理想ですけどね・・・」
言われそうな気がするが、「理想を語らずして文化が作れるか!」と言いたい。
理想に近づけるために人は努力を惜しまないのであって、理想を持たずに現実をなぞるだけなら誰も努力なんぞしなくなり、動かないのに疲弊ばかりが心にたまることになる。
非常にあいまいな「文化」という言葉を声高に言う人間がめっきりいなくなったような気がする。
「いやいや!言っていかないと!」と思う。
よし、また明日。
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